去る四月十四日、熊本地震から一年を迎えた。高野山真言宗では熊本市内の正福寺に於いて、佐々木社会人権局長導師のもと第九地域伝道団役員及び同県支所下の住職が出仕して「物故者一周忌追悼・被災地早期復興祈願法要」を厳修した。今年上半期で阪神淡路二十三回忌、東日本七回忌と、大震災の回忌法要が続いている。改めて日本が災害列島であることを肝に銘じた。 熊本地震から一年が経過した現在も、被害が甚大だった寺院の中...
来る三月十一日、未曾有の東日本大震災から丸六年を迎え、各地で七回忌の慰霊法要が営まれる。 死者、行方不明者が千名以上という尊い命が失われた岩手県釜石市では、新たな課題に直面している。復興住宅の建設で市内六エリア五十ヵ所にあった仮設住宅が集約され、今までに育まれてきた住民のコミュニティが壊されている。高野山真言宗の震災復興支援の最前基地であり、震災直後から現在まで宗内外を問わずボランティアを受け入...
本年は阪神・淡路大震災から二十二年目を迎えた。全日本仏教会では、平成九年に財団創立四十周年を記念し神戸・大本山須磨寺内に大震災の大惨事を風化させることなく、犠牲者追悼の丹誠を捧げるため、物故者追悼碑を建立しているが、去る一月十六日も同山で創立六十周年記念として二十年ぶりとなる二十三回忌逮夜法要を厳修した。六千四百名以上が亡くなり、多くの寺院が被災し、本宗関係者にも犠牲者が出るなど甚大な被害が出てか...
「汝等比丘若し諸の苦悩を脱せんと欲せば当に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安隠の処、知足の人は地上に臥すと雖、猶安楽と為す。足るを知らざる者は天堂に処すと雖、亦意に称わず。足るを知らざる者は富むと雖も而も貧し、知足の人は貧と雖も而も富む」これは『遺教経』の教えであるが、今や人類がその存亡をかけて取組むべき喫緊の重要課題となった地球温暖化問題に、自ずから想起されるのがこの仏説である。 仏...
スポーツの秋、全日本剣道選手権に引き続き全日本学生体重別柔道大会を見て痛感したのは、日本武道の精神美を失ってしまった柔道への失望であった。日本古来の精神美に充ちた剣道選手権に見たものは、緊迫の中に静まり返る観客に見守られて、研ぎ澄まされた技を競う剣士たちの凛々しさと礼儀正しさ、そして闘い終えた剣士たちの表情の知性的な美しさであった。 これに対して柔道はどうか。耳を聾する応援の怒号の中、美しい...
修法とは、仏と一体となる作法であり、仏と一体となるとはすなわち衆生と一体となることである。無量寿とは限りなき生命の一体感であり、その故にこそ修法に於いては、無量寿如来の妙観察智説法断疑の三昧に入る正念誦を加持成仏の秘観として、特に重要視するのである。即身成仏とは衆生への慈悲に他ならない。 仏と一体となることは、また時空を超えるということでもある。時空を超えるとは、すなわち生死を超えること...
戦勝国米国の価値観強制移植によって日本人が失ってしまったものに羞恥心と反省心とがある。この二つは倶に曽ての日本社会の美しさの基本をなすものであると共に、相互に関連するものでもある。すなわち、羞恥を失ったが故に反省を無くし、反省を無くしたが故に羞恥心をも失ったのであるが、その背後にあるのは仏教思想の喪失に他ならない。何故なら、仏教の基盤をなすものは持戒であるが、持戒の基盤をなすものは懺悔だからであ...
先頃の新聞は、高校の国語教科書から日本文学史上に於ける文豪や外国の著名人たちの文章が消えて、目下活躍中の若い女性作家たちの文章が採用され、そして音楽教科書には曽ての小学校で歌われた文部省唱歌「うみ」「シャボン玉」「夕焼け小焼け」が登場すると報じていた。いま、日本の教育界は何を考えているのか、唖然たらざるを得ない。理由は、これら文豪たちの文章が現代の高校生たちには難解であり、そこに描かれている時代...
辞典には、人倫とは「人間の実践すべき道義」とある。端的には「人の道」ということであるが、今それが現代の日本から失われようとしている。例えば先頃来話題になっている病変腎移植や、代理母――特に実母による代理母問題等々に於いても、識者による賛否様々な意見が聞かれるが、宗教者・仏教者の意見は聞かれず、然もそのいずれもが患者や社会に対して利益をもたらすか否かという功利主義的な論にのみ終始して、それが果たし...
いま医療と教育が厳しく問われている。宇和島徳州会病院に於ける臓器売買に続く病変臓器移植手術に医の倫理が問われ、一方教育界では小学生の教師への暴力沙汰や、教師の年端もゆかぬ教え子への破廉恥行為、更に虐めによる幼き者たちの自殺や学力低下に教育改革が叫ばれている。だが、その教育改革を国政の基本方針に掲げて登場した新政権は、教育改革への民意を汲み取るべきタウンミーティングで「やらせ質問」という最も反教育...