山上被告無期懲役判決が問うもの

投稿日:2026年02月05日

安部元首相殺害で罪に問われた山上徹也被告の裁判員裁判に於いて、奈良地裁は一月二十一日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
被告は殺人罪等の起訴内容を認め、最大の争点は量刑であった。弁護側は不遇な生い立ちが動機に結びついたとして「重くても懲役二十年までにとどめるべき」と情状酌量を求めたが、その訴えは退けられ、判決は一定の理解は示したものの「生い立ちが大きく影響したとは認められない」と判断した。
被告と接見したことがあるジャーナリストの鈴木エイト氏は、被告は罪を償った上で、なぜこのような事件を起したのかを社会に訴える存在であり、今回の判決は「重すぎる」と語る。無期懲役では、更生して社会復帰を果たした後、自身の宗教被害体験を生かす機会が失われてしまうことが考えられ、今回は残念な判決であるが、今後控訴の可能性もあり、見守っていきたい。
そして、今回の被告の行為は決して受け入れられるべきことではなく、加害者としての罪を重く受け止めて欲しいが、一方でこのような行為へと向わせてしまった「宗教二世」の置かれた深刻な状況も看過することはできない。
被告が幸福な日々を送りたいという願いは、母親の世界平和統一家庭連合 (旧統一教会) への入信による高額の献金、兄の自殺等により、家庭が崩壊し、「宗教二世」としての生い立ちを背負い、過酷な日々を送らざるを得なかったため、かなわなかった。このような宗教被害の事件が二度と起こらない社会をつくるためにも、宗教者として何かできるのか。宗祖大師の教えをもって、できれば司法や行政と連携して再発防止の糸口となるような相談窓口の設置を各派で検討することも必要ではないだろうか。