八十年前の昭和二十年六月十九日深夜、福岡大空襲を行ったB29の編隊の一機が軍事施設と無縁の農村地帯に焼夷弾を投下した「雷山空襲」で、子供を含む八名が犠牲となった。地域を襲った猛火の中で興福寺も、本堂や庫裡を焼失。爆風で頭部が飛ばされた石仏の地蔵尊が今も境内に祀られている。
平和の為に戦争の悲惨さを語り継ごうという地域の要請に応え、行政は戦争の傷痕を視覚的に訴える案内版を設置、そこに「首なし地蔵尊」も入った。 空襲直前に晋山した先々代住職、空襲当時六歳であった前住職と現住職は一刻も早く元の姿にお戻ししたい、特にご本尊薬師如来の頭部だけを猛火の中から抱え出し、労苦を重ねながら戦後に坐像部分を修復した先々代住職は、その想いが強かったと思われる。一方で地元の小中学生や市民団体等が訪れ、戦争と平和を学ぶための戦争遺産「首なし地蔵」としての重要な役割を担うようになっていたため、敢えて修復しないまま八十年を迎えた。
今回の案内版設置が決定した時、江藤亮玄山主は「この八十年の間も世界の戦火は収まらないばかりか、今、拡大しつつある。興福寺の歴代先師も平和のためなら『首なし地蔵』の姿でお祀りされることを望まれていると思い、苦渋の決断でしたがこのままにすることにしました。世界に真の平和が訪れた時、『首なし地蔵』で平和の尊さを学んだ地域の次世代にお顔を修復してもらい『平和地蔵尊』と呼ばれるようになることを願っています」と語った。
真言宗徒が目指すべき「真の平和」とは何か。終戦から八十年目の八月を迎える今、「首なし地蔵」の温顔を想像し、一日も早くお顔のある「平和地蔵尊」に参拝出来る日が来ることを、強く願うものである。