ロシア軍のウクライナ各都市への攻撃が激しさを増し、犠牲者は増加の一途をたどっている。生物化学兵器などの大量破壊兵器の使用まで現実味を帯びてきている。国際社会には一刻の猶予もない。この間、北朝鮮は最新型大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功し、米国全土をも射程に収めたと喧伝されている。世界は今、軍事力を背景にして自国に有利なように国益剥き出しで交渉し、要求が通らなければ軍事侵攻を決行するという一世紀前の弱肉強食の帝国主義の時代に逆戻りしようとしている。約八十年前に国土を焦土とし、その反省の上に平和国家を築いてきた日本に生きる一人の宗教者として何ができるのか、募る焦燥の中で自問自答の日々を過ごしている。
今、最前線に駆り出されている若いロシア兵が語る、命令で大義なき戦争の最前線に立たされ、常に生命の危機にさらされる恐怖を訴える生の声も報道され始めている。ロシア兵の中にも戦いたい者など一人もいないのではないか。そう思われてくるような悲痛な声である。皆、普通の若者である。
昭和七年に関東軍が起こした満州事変当時、最愛の妻と娘を残して戦死した兵士の遺族の遺品、戦地に赴いた夫の身を案じる妻の手紙が偶然に発見された。戦争で犠牲になるのは、戦いなど全く望んでいない市井の人々である。
宗教教団の中には祈りと共に、教団が持つチャンネルを使った様々な人道支援に動き出している。今我々に求められているのは、祈りに裏打ちされた具体的な行動である。戦争を始めるのも人間なら、止めることができるのも人間である。軍拡による恐怖が支配する世界ではなく、違いを認めて信頼で繋がり合う世界を構築しなければならない。未来はそこにしかない。