東日本大震災から十年を迎え想う

投稿日:2021年03月05日

来る三月十一日、東日本大震災から十年を迎える。激しい揺れに続く大津波、そしてこれらが引き起こした東京電力福島第一原発事故と、三つが重なった複合災害は多くの犠牲者と行方不明者を出し、長年に亘る避難生活を強いてきた。避難生活中の震災関連死者も多数を数えている。
十年という歳月は、被災地に、そして日本全体に何をもたらしたのか。あの時ほど私達は、被災者の苦しみや痛み、悲しみの中にある人々に、どうすれば寄り添えるのか、自身の信仰と向き合ったことはなかった、という宗教者は少なくない。社会の中に生きる「仏教者」の意味、大師の誓願に生きることの意味や、同悲の念をもって、それぞれの場で祈り、行動する。我々大師末徒にはこのことが問われたのではないか。
このことについて深く考える時、被災地で復興の最前線に立ってこられた仏教者の姿に学ぶことが重要である。被災地の数だけ、そして被災寺院の数だけ、復興の形がある。同じ歩みは一つとしてない。
今号と次号で福島第一原発事故で帰還困難区域となった大熊町にある豊山派遍照寺と浪江町にある同派清水寺の十年間の復興への歩みをリポートする。寺院の全面移転を余儀なくされた遍照寺と、元の地に伽藍を再建した清水寺の信仰は、共に未曾有の危機の中でどう信仰を守り続けていくのかという問いに対する智慧に満ちている。復興は耳当たりのよい言葉の中ではなく、その行動の一つ一つに現れることを両住職の活動が教えてくれた。
「震災十年」で、あの災害に区切りがつくわけでは決してない。日本中があの日の思いを胸に、再び共に歩んでいくことを深く心に刻む十年にしたい。