一瞬にして全てを灰燼に帰する猛烈な熱と光は多くの命を奪い、人々の身心に消えぬ傷跡を残した。しかしながら、戦後八十年余りが過ぎた現在、惨憺たる実態を語る者は殆ど居なくなっている。宗祖大師は『秘蔵宝鑰』で 「凡夫は物事の善悪に迷い、因果の理があることを知らず、目の前の利益だけを追い求める」と示された。凡夫の悪業集う共業が生む戦火は、いまだ苦しみに苛まれる人々を生み出している。一方、日本では戦争の記憶が薄れっっあり、平和の尊さが当たり前の日常として形骸化し、その礎が静かに揺らいでいる。悲惨な戦争の体験を持たない我々は、過ちを繰り返さぬ戒めとして、歴史とどう向き合い、何を継承すべきなのであろうか。
そこで今、先人たちが示した縁を結ぶ言葉に立ち返る必要がある。現代の仏教が説く不殺生戒は、単なる規律に留まらない。それは生命を尊重し、万物との繋がりを自覚させ、慈悲を育む実践の指針にほかならない。かつて奈良時代の長屋王が唐へ贈る千領の袈裟に縫い込ませ、鑑真和尚が渡日を決意する契機となったと伝わる「山川異域 風月同天」の精神がある。住む場所や国は違っていても、吹き抜ける風や仰ぎ見る月は同じ空で繋がっているのだから、共に未来のよき縁を結ぼう、と。今求められているのは排他的で分断を生む破壊の力ではなく、互いの違いを超えて縁を結び合う親和の力である。国家間の利己的な思惑や私利私欲に端を発する暴力は一瞬にして命や絆を切り裂き未来にまで暗い影を落とす。対照的に相手を思いやり共に生きようとする真摯な言葉は、途切れた糸を結び直すが如く、人と人を繋ぐ希望の灯火となる。かつての過ちが遺した爪痕を重く受け止めながらも、互いを慈しむあたたかな光を絶やすことなく共生の誓いを次の世代へ繋いでいきたい。