昨年、日本では約百五十九万人が亡くなった。葬儀の簡素化や墓じまい、無葬という言葉も身近になっている。私たちは、かつてないほど多くの死者を送る一方で、亡き人と向き合うための弔いの文化を急速に失いつつある。だからこそ、先祖を迎え、死者とともに過ごすお盆の意味を、いま改めて問い直す必要がある。
こうした死者とのつながりを保ってきたのが、日本仏教である。近年、「葬式仏教」という言葉を耳にする機会は少なくない。葬儀や法事を中心とする仏教のあり方への批判である。しかし、「葬儀といえば仏教」という社会的認識が今なお根強いのは、裏を返せば、仏教文化が死者と生者のつながりを支えてきた証しともいえよう。
お盆には、先祖を家に迎え、仏壇や墓前に手を合わせ、亡き人に思いを馳せる。そこには、死者とともに生きてきた日本人の死生観が表れている。かつての悲嘆理論では、死別から立ち直るためには、死者との心理的な決別が必要だと考えられていた。しかし今日では、故人とのつながりを保ちながら生きるあり方も重視されている。仏壇や墓、お盆や彼岸は、死者との関係を日常のなかに保つ仕組みでもあった。
十分な弔いの機会が得られなければ、遺族の心身の負担が長引くこともある。宗教儀礼は死別の悲しみを消し去るものではない。だが、死を受け止め、亡き人との関係を結び直すための機縁を与えてくれる。墓じまいや無葬が広がる今こそ、お盆が担ってきた宗教文化的な意義を見つめ直したい。お盆とは、亡き人を供養するとともに、死者とともに生きるための時間なのである。