延暦二十三年(八〇四)七月六日、若き宗祖が入唐求法の志をもって遣唐使船で出発した長崎県平戸市田の浦の海辺に、昭和四十二年十一月に智山派九州教区下寺院の尽力により「弘法大師渡唐解纜之地」の顕彰碑が建立されてから六十年、去る五月二十六日、教区下檀信徒多数が参列し、盛大に第六十回記念「弘法大師渡唐解纜顕彰法要」が奉修された。
参列者は田の浦沖で遣唐使船に見立てた四般の漁船に向って、唐に向う宗祖を見送るように合掌し、宗祖の入唐求法の尊さを胸に刻んだ。法要を通じて、九州教区寺院、檀信徒、地元の人々が協力して、千二百年前の光景を再現していることに改めて感謝の念が込み上げてきた。
宗祖はなぜ、生命を賭して砕波の彼方に新たな仏法を求めたのか。それは「空白の七年間」と言われる修学の日々の中で、真言密教の救いがこの国に最も必要であることを確信されたからではないか。師・恵果和尚から賜った「蒼生の福を増せ」とのお言葉を胸に請来した両界曼荼羅の教えと即身成仏の思想は、全てのいのちの繋がりと調和を示した上で、一人ひとりが仏であると説く絶対的な救済の真理であった。その真理は現代に至るまで、排除ではなく包摂を重んじる日本人の精神構造の中に深く息づくことになった。
しかし今、世界は再び弱肉強食の様相を呈し始め、自国ファーストを唱える軍事力に秀でた国々が掲げる”正義″が地球といういのちの曼荼羅を分断しようとしている。我々真言末徒は宗祖が生命を賭して請来した救済の法を、不安定化する世界に向けて発信しなければならない。入唐求法のご精神を追想しながらそれを誓うことが、渡唐解纜法要の現代的な意義である。