本年一月十七日、平成七年の阪神淡路大震災から三十年を迎えた。発災直後、私も青年教師会の一人として神戸市長田区の被災寺院で行われた炊き出しのボランティア活動に参加した。困難な状況下にある御住職や寺族、また住民の方々と直接接し自分自身が出来ることを精一杯させて頂こうと思った。二月初めの厳しい寒さの中、一杯の温かい食事を手にして、お互いに支え合い感謝し、励まし合う人々の姿を見た。
その経験から三十年を経た今、改めて後七日御修法に象徴される「鎮護国家」の祈りとは、先ず災害が起こらないように祈ることであり、ひと度災害が発生した際には、祈りの心をもって被災地に駆け付ける行動も含めて意味するようになったのではないかと強く意識するようになった。
阪神淡路大震災の年は「ボランティア元年」と言われるが、その後の東日本大震災を始めとする各地の自然災害や今回の能登半島地震や水害に対しても、いち早く被災地に向かう本宗教師の姿を多く見出すようになった。
今、阪神淡路大震災の被災地では完全に復興がなされたように思いがちであり、ハード面では全てが完了したと思われているが、家族や友人を亡くした人々の悲しみは、決して癒えることはない。
被災地での救援活動という「鎮護国家」の実践と、時の経過で癒えることのない、最愛の人を失った悲しみに寄り添い続ける「同行二人」の実践がなされてきた三十年であり、祈りなき行動、行動なき祈りではなく、祈りに裏打ちされた行動の重要性が、度重なる災害という試練によって問われ続けてきた三十年でもあり、今後も問われ続ける重要な宗教的活動となる。