終戦の祈りから平和曼荼羅へ

投稿日:2024年08月15日

本日八月十五日は凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄、人類初の原爆投下が行われた広島・長崎の惨禍を経て迎えた七十九回目の終戦記念日である。全ての戦没者を追悼し、絶対不戦の誓いを新たにする一日である。
約八十年、平和を保ってきた日本だが、世界の情勢はどうか。ウクライナやガザの戦闘は「平和の祭典」であるはずのパリ五輪開催中も続き、平和維持の最大機関である国連安保理は大国の思惑が一致した時のみにしか機能しない無力さを露呈している。北朝鮮の相次ぐミサイル発射実験など、日本を取り巻く安全保障環境も刻一刻と変化し、核抑止論が改めて力を持ち始めている。東アジアは、そして分断が進む世界は、かってない危機的状況にあると言っていい。戦争を過去形で語ってはいけない。常に現在進行形で我々の傍らにあって、いのちの尊厳を脅かし続ける仏敵、それが戦争である。
宗祖は入唐し、国際都市長安で多様な民族と彼らが信仰するキリスト教、マニ教、イスラム教の寺院、さらに異民族同士が生き生きと交流する様を目の当たりにされたであろう。宗祖が長安で見た世界は、瞳や肌の色、思想・文化の違いを超えて調和する人々が織りなす平和曼荼羅だったのではないか。
宗祖が師から賜わった「蒼生の福を増せ」との教えと、宗祖が確立された大調和を説く曼荼羅思想に国境はない。人々の「福」を奪い、いのちの調和を破壊するのは戦争である。我々は宗祖のみ教えに根ざした現代の平和曼荼羅を掲げた上で、世界のあらゆる宗教に共通する「いのちの尊さ」の一点で連携し、真言宗全体で協働する平和活動のプラットフォーム(共通の活動の場)創設と共に諸宗教対話の場に積極的に参加する必要があるのではないか。