大正十二年(一九二三)九月一日に首都を襲った関東大震災では、家屋の倒壊に続いて大火災と火災旋風が起こった。未曾有の複合災害となり、十万五千人以上が亡くなった。百年後の今、その教訓は何を語りかけているのか。
本宗寺院の被災は、東京七ヶ寺、神奈川四十六ヶ寺に上った。この報に接した当時の真言宗各本山会はすぐに救援事業を開始し、慰問団を派遣、全国津々浦々の末寺や教会も、檀信徒を含めて義援金募金の托鉢や犠牲者追悼会等を行じた。震災を報じる本誌には、挙宗一致の先徳の姿が記録されている。
特筆すべきは、真言宗聯合議会常置委員会が建議を採択していることである。要約すれば
①震災地では寺院を中心に恒久的社会事業を行い、被災者を徹底的に救済する施設として寺院を活用する
②震災後の人心を考慮して真言宗の伝道方針を確立し、全国に亘り同体大悲、相互扶助の美風を奨励し宗教的信念の確立を促す
③被災寺院の援助は緻密なる被害程度の調査のみならず、被災地の代表者の希望、意見を聴取すると共に新都市計画と照応し、恒久的寺院復興の根本策を定め都市に於ける宗教上の使命を遂行する
である。
建議の背景には、行政の震災復興計画の中で寺院の「郊外移転説」という「震災後の宗教問題」があった。先徳は「寺院の宗教的価値を否定する思想より発現したもの」と批判。灰色の鉄筋コンクリートの建物ばかりの都市景観を「国家の一大不幸」とし、心の復興を担う社会インフラとしての寺院復興を急いでいる。心の復興を真の復興と位置付ける意識は、現代と共通する。
災害多発の現代、寺院の防災体制を再構築し復興救援活動の拠点としての寺院の役割を再詔識する。建議三点を、先徳からの問いかけと受け止めたい。