御修法の祈りを具現化する一年に

投稿日:2022年01月01日

コロナ禍三年目の新年を迎えた。国内の感染状況は概ね収まっているものの、海外では新種のオミクロン株が流行し始めている。世界が一つに繋がったグローバル化の現代、他国の災禍も自国の苦難として、乗り越えていこうとする姿勢が大切である。その観点から、御修法の意義について考えたい。
密教弘通を成し遂げられ、ご入定の時期を覚られた宗祖は、その直前となる承和二年(八三五)正月、後七日御修法を毎年恒例の法要とする勅許を賜り、自ら大阿闇梨となり宮中真言院で厳修された。その三年程前に記された高野山万灯万華会の願文では「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」と切に願われた。全ての命の救済を願う祈りに国境などは関係なく、千二百年前の宗祖の御誓願は現代でも世界に向けて輝きを放っている。
ではなぜ、宗祖は年頭に当たり、この大法を恒例法要として厳修することを定められたのか。それは「鎮護国家・五穀豊饒・国土安穏・万民豊楽」を願う御修法の祈りが、その年一年間にわたって全ての人々の行動に宿ってほしいと願われたからではないか。御修法の祈りが国と国との関係に反映されれば国際協調に、地域間であれば相互の助け合いに、個人間であれば他者への優しさとして行動に表れることになる。そこに分断の芽が育つ余地はない。
御修法の祈りは、宗祖の御誓願を実現していくための我々一人ひとりの行動の源泉となるものである。その思いに至った時、未曾有のコロナ禍三年目に入っていく勇気が湧くとともに、全ての人々と心一つに歩む新たな世界観が想起された。全ての命が安穏に暮らせる世、その実現を願う御修法の祈りを具現化するための様々な行動で、信仰を深めていく実りある一年としたい。