コロナ禍の中で見えた仏教の可能性

投稿日:2021年11月15日

ワクチンの普及等で漸く新型コロナウイルス感染者の減少が続くが、次の流行の前段階なのか、収束への兆しなのか、気が抜けない状況が続ている。
今世界はグローバル化によって一つに繋がっており、運命共同体であること、他国で起こった苦難も決して無関係ではなく、忽ちに我々の苦難となる新型コロナウイルス出現は、世界規模の「天下大疫」である事実をまざまざ
と見せつけられ、仏教界でも今まで経験したことがない事態に直面してきた。
コロナ禍の中、寺院という祈りの場で、人々が心身共に密接に繋がろうとする「絆」が断ち切ろうとされた。感染リスクが高まる3密を避けるため、やむなく葬儀や法事等の自粛や縮小、境内や堂宇等の閉鎖が行われ、宗団や
本山、支所単位での研修会や団参も中止を余儀なくされた。また寺院運営にも大きな影響を与え、一部宗派では宗費の減額を実施している。
一方でコロナ禍という苦しみの時代の中で、新たな仏教の可能性に向けての取り組みが始められたことも指摘したい。
在宅のままで人々の心を祈りで繋ぐ取り組みとして、梵鐘を撞き、その音に合わせての祈りや写経、またオンラインでの法要の配信や法事、葬儀などの取り組みなども始められた。仏教界は、離れていても繋がる重要性に改め
て気づき、祈りを中心に据えた様々な活動を実践してきた。
コロナ前は普通であったが、改めて対面で檀信徒や参拝者と交流できるという有り難さと尊さも身をもって知った。寺に集う人々と、何らかの事情があって寺に来られない人々の双方に仏法を届ける熱意の重要性に気付いたこ
と、ここにコロナ禍の中で見えた仏教の新たな可能性があるのではないか。