聖徳太子御遠忌大法会と仏教の黎明

投稿日:2021年04月25日

聖徳太子が推古三十年(六二二)に崩御されてから千四百年を迎えた。御廟所である大阪府太子町の叡福寺では四月十日から五月十一日まで、高野山金剛峯寺など所縁の宗派・寺院の出仕により御遠忌大法会が営まれ、日本という国家と日本仏教の黎明を告げた太子のご事績に感謝の念を捧げている。
「十七条憲法」の「和を以て貴しと為す」はあまりにも有名だ。さらに仏法に帰依する重要性を説いた「篤く三宝を敬え」と続く。調和を重んじる仏教文化を基底とした我が国のあり方は、この時を起源とすると言っていい。
聖徳太子が仏法による国造りに邁進された背景に、緊迫した東アジア情勢があり、強大な隋を中心とする国際社会に参画するには仏法という普遍的な共通思想が必要だったことがある。「世間虚仮 唯仏是真」というお言葉からは、三宝に帰依しながら国内外の「和」に尽力されたご生涯が見えてくる。
そして聖徳太子のご誓願を受け継ぐ日本仏教各宗派の祖師が、自身が進むべき道を求めて聖徳太子の御廟に参寵。宗祖弘法大師もそのお一人であり、弘仁元年(八一〇)八月に参観された時、阿弥陀三尊の出現という奇瑞があったと伝えられている。聖徳太子を観音菩薩の化身として尊崇する太子信仰は日本仏教各宗に深く浸透し、叡福寺の境内には弘法大師堂、見真大師(親鸞
聖人)堂、日蓮上人参観記念塔なども建てられている。宗教・宗派を超えた信仰のありようは今も変わることはない。我々は今、何を学ぶべきか。
日本仏教は、宗派意識が強過ぎるとも言われる。社会が急速に変化し、寺院環境も厳しさを増す中、仏教界は協力して事に当たっていかねばならない。御遠忌大法会を取材し、その智慧が聖徳太子信仰の中にあると確信した。