令和五年の宗祖二大記念法会に向けて

投稿日:2021年04月05日

令和五年には宗祖弘法大師御誕生千二百五十年記念大法会を迎える。御誕生所である善通寺、御入定所である高野山をはじめ、各派でも特色のある記念行事が計画されている。さらに教王護国寺では同年、真言宗立教開宗千二百年記念大法会を厳修する。宗祖が嵯峨天皇から東寺を賜り、真言宗の根本道場と定めたことを改めて銘記する勝縁となるものである。すなわち令和五年は、宗祖と真言宗の誕生日を宗祖の三大聖地と、各山でほぼ同時に慶祝することになる、真言宗末徒にとって極めて重要な祥当年と言える。この二大法会を迎えるに当たり、我々には今、何が問われているのだろうか。
五十年、百年に一度の大法会は時代を映す鏡である。前回の御誕生法会が営まれたのは、昭和四十八年。多くの檀信徒が本山に足を運び、共に祈りを捧げることが出来た時代であった。しかし現代は、大人数で同じ法悦を喜び合うという傾向は薄れ、より個人に密着した宗教的な救いが求められるようになった。特定の教団に属するよりも、自身の信仰を個人で守るという人も増えている。大師信者も例外ではないだろう。しかもコロナ禍の終息が未だ見えない中、従前の過疎化、少子化等で縮小を余儀なくされてきた末寺の運営を思う時、本山中心型の記念事業や記念法要がどこまで可能であろうか。その点も考えるべきであろう。二大法会を機縁として、大勢の人々に届く布教よりも、一人一人の心に入る布教を推進することがまず必要ではないか。
御誕生千二百五十年、立教開宗千二百年。幾度ものパラダイムシフトを経て、宗祖のみ教えは受け継がれてきた。時代が求める「救い」に即応した大法会を模索する時、我々は時空を超えた不変の真理に出遇えるのではないか。