コロナ禍の中、信仰の自粛を避けよ

投稿日:2020年09月05日

コロナ禍の八カ月、終息の見通しが立たない中で、我々には信仰上の課題が突き付けられた。それに対してどのように対応して行くか改めて考えたい。
緊急事態宣言を含む感染防止対策の中で、葬儀、法事、寺院での行事等が「密接・密集・密閉」を避けるために、縮小や自粛を余儀なくされ、境内の閉鎖にまで踏み切らざるを得なかった寺院もある。結果として運営に困難を来す寺院も出ており、救済策として宗費の削減などを打ち出した宗団もある。
コロナ禍の自粛などの中で、寺離れや宗教離れが進行することを懸念する声を頻繁に耳にするが、そうとばかりは言えないのではないか。
檀信徒や参拝者は寺院に、そして住職に救いのヒントや言葉を求めて来ていることが多いことを、ほとんどの住職が感じているに違いない。コロナ禍という大きな社会不安の中で、信仰の光を求める人の数が減っているとは到底思えない。
むしろ危惧するのは、コロナ禍を理由に、祈りや信仰まで自粛に至っているのではないか、と檀信徒や一般社会の目に映ってしまうことである。仏教界はそうならないように、積極的に祈りを発信し、三密を避ける感染防止を実践しながら心の密を作ってきた。本欄でも度々論じてきたが、過剰な不安や恐れから生じた感染者や感染者の家族、職場、教育機関等への差別や偏見という「心の感染」が、人々の絆を分断することが感染症の最も恐ろしい被害の一つだからである。
コロナ禍は続くが、人々の生活に寄り添う宗教活動を自粛してはならない。引き続き感染防止を徹底して、ウィズコロナ時代の信仰生活を築き上げたい。