戦争を伝え平和を希求するために

投稿日:2020年08月15日

本日八月十五日、昭和二十年の終戦から、七十五回目の終戦記念日を迎える。追悼と平和の祈りが、世代を超えて捧げられることを切に願う。

戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶための民間の戦争資料館が、管理者の高齢化で閉館せざるをえない事態になっているという。これは戦没者遺族から寄贈された貴重な遺品や資料が散逸の危機にあることを意味する。各地の遺族会の解散も相次いでいる。祖父母が戦後生まれという家族が増え、戦争の記憶の風化が強く懸念される現代に於いて、寺院が果すべき役割を考えたい。

なぜ、戦争の記憶が風化するのか。それは戦争を知らない世代から当事者意識がなくなっていくからである。しかし、誰もが平和を希求する当事者にならなければ、戦禍の足音が忍び寄ってくるのではないか。戦争の悲惨さを知らなければ、平和の尊さはわからないのである。これから先、戦争の記憶を、全ての人々の共有の記憶として、心に刻まなければならない。

檀家の中に戦没者がいないという寺は殆どないだろう。境内に慰霊碑があれば、地域の戦争の記憶が刻まれているだろう。また空襲で焼失した伽藍を戦後に復興した寺院も少なくない。戦時下には、梵鐘を供出したり、疎開児童を受け入れたりしたというような、寺院の記憶も語り継がねばならない。

寺院には地域が経験した戦争と、これからの平和を考える素材が多く残されている。それらを一つ一つ丁寧に掘り起こしながら後世に伝える責務が、戦後の寺院にはあるのではないか。戦争という現世の地獄の悲惨さと、平和という現世の浄土の尊さを銘記する場が寺院である。「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」。仏陀が説いた真理を改めて胸に刻む一日にしたい。