現代人心の浄化を祈る

投稿日:2016年08月20日

 怱々と迫り来る年の瀬音に耳傾けながらこの一年をふり返るとき、憶念されてくるのは「朝暮に懺悔すること二十年」の宗祖のお言葉である。この一年は当に人心破壊の一年であった。相次ぐいたいけな小学校一年女児の拉致殺害をはじめ、凄惨な殺人事件は枚挙に遑なく、四月には列車事故の大惨事がはからずも利潤追求の前には人命を軽視して省みない鉄道会社の非情な体質を露呈した。そして最後の極めつけともいうべきは建築士による建築物の構造計算書偽造(耐震強度偽装)の発覚であった。地震列島の異名を持ち、現に各地に地震頻発の日本である。これは最早大量殺人というべき暴挙であり、現代人心は当に破壊され尽くしたと謂わざるを得ないのである。
現代人心は何故にかくも荒廃し凶悪化したのであるか。戦後教育の弊害を論じ、道徳教育を説く者もあり、更には厳罰化による犯罪抑止を説く者もある。勿論、家庭と学校とを問わず根本的に教育を考え直す必要がある。だが教育のみに期待するのは百年河清を待つもどかしさがあり、そして厳罰化もまた徒らに報復思想を助長する懼れを禁じ得ないのである。
今我々宗教者に求められているのは、宗教者が率先して自心の清浄化を急ぐ事でなければならない。何故なら多発する凶悪犯罪は、汚濁の現代人心が造りだした時代の潮流とも謂うべき想念の濁流に生ずる泡沫であるが、この汚濁の潮流を清めるためには、美しい想念の清浄水を注ぐ以外にはないからである。宗祖の懺悔に自らの至らなさを慚愧しつつ、禍事多かりし平成十七年の本欄を擱筆する。現代人心の浄化を痛切に祈って止まない。