原爆投下と慰安婦決議

投稿日:2016年08月20日

 戦勝国米国の価値観強制移植によって日本人が失ってしまったものに羞恥心と反省心とがある。この二つは倶に曽ての日本社会の美しさの基本をなすものであると共に、相互に関連するものでもある。すなわち、羞恥を失ったが故に反省を無くし、反省を無くしたが故に羞恥心をも失ったのであるが、その背後にあるのは仏教思想の喪失に他ならない。何故なら、仏教の基盤をなすものは持戒であるが、持戒の基盤をなすものは懺悔だからである。
 そして、この戒と懺悔とは羞恥と反省との関係に相似のものである。すなわち、おのが罪障を懺悔すればこそ戒を持さんと願い、戒を保ち得ざればこその懺悔でもあり、この幽玄なる仏教教理が日常生活に於ける羞恥と反省となって、日本人の精神的基盤となっていたのである。これに対して常に自己のみを正義として他の悪を糾弾する米国的価値観は、恥と反省なき文化といわざるを得ず、原爆投下と慰安婦決議はまさにその典型というべきである。
 如何に米国が正当化しようとも原爆投下が、今なお米国に根強い人種差別思想による、画期的新兵器の黄色人種への人体実験であったことは疑いようもなく、そして慰安婦問題もまた、軍の関与の如何に拘わらず日本人による人倫蹂躙であることは確かである。それが戦争終結を早めたとか、或いは軍の関与はなかったとか、自己の正当化に汲々たる時ではなく、共に唯ひたすら人間として懺悔すべき問題である。仏教は懺悔のみが罪を消して人を救うと教えている。米国に原爆投下への懺悔がない限り、被爆犠牲者の成仏はあり得ない。明日八月六日は人類が永遠に忘れてはならない日である