修法余話(こぼればなし)(一)

投稿日:2016年08月20日

 修法とは、仏と一体となる作法であり、仏と一体となるとはすなわち衆生と一体となることである。無量寿とは限りなき生命の一体感であり、その故にこそ修法に於いては、無量寿如来の妙観察智説法断疑の三昧に入る正念誦を加持成仏の秘観として、特に重要視するのである。即身成仏とは衆生への慈悲に他ならない。

 仏と一体となることは、また時空を超えるということでもある。時空を超えるとは、すなわち生死を超えること――すなわち生死を解脱することである。生死とは生命を時間的に捉えることである。すなわち生まれてから死ぬまでという時間的生命観――これを仏教は「迷い」と名づける。

 修法の基本は懺悔・浄三業・普供養であり、その基盤をなすのは仏への帰依。そしてそれが日常生活に於いては懺悔は反省、浄三業は善行・愛語・善き想念、普供養は差別無き隣人愛・布施・奉仕となる。帰依とは信仰である。修法が日常生活に生かされなければ、単なる自己満足となる。

 善行を為そうとするとき必ず邪魔者が現れる。「釈迦に提婆、キリストにユダ」といい、宗祖大師も高野山開創に際して先ず七里結界をされた。仏道修行に邪魔はつきもの。ここに修法に於ける辟除結界の意義がある。