人倫を忘れた現代日本

投稿日:2016年08月20日

 辞典には、人倫とは「人間の実践すべき道義」とある。端的には「人の道」ということであるが、今それが現代の日本から失われようとしている。例えば先頃来話題になっている病変腎移植や、代理母――特に実母による代理母問題等々に於いても、識者による賛否様々な意見が聞かれるが、宗教者・仏教者の意見は聞かれず、然もそのいずれもが患者や社会に対して利益をもたらすか否かという功利主義的な論にのみ終始して、それが果たして人として許されるべきことであるか――という、人間として先ず問われるべき根本命題が欠落しているのである。科学は人間の煩悩に奉仕するものであり、煩悩への奉仕によって進歩発達するものである。人類の悲願である長生への願望(煩悩)に奉仕すべく医術は驚異的に進歩して移植医療を日常化し、わが子を欲しいという煩悩に応えるべく生殖医療は体外受精と代理母による出産への道を拓いた。確かに科学は煩悩(欲望)への奉仕によって進歩する。そして人間の煩悩には限りが無く、従って科学の進歩にも際限はない筈である。
だが仏教は、煩悩(欲望)は自らを生かすためのものであるにも拘わらず、遂には自らを滅ぼして極まるものであり、煩悩は智慧によって統御しなければならないことを教えているのである。では智慧とは何か。すなわち人倫である。例え科学的には可能であり、それが自己の欲望を充足するものであっても、人間として為すべきことか否かを考える智慧である。その智慧が今現代の日本から失われようとしているのである。そして、それは取りも直さず現代に於ける仏教の衰微を意味するのである。奮起したい。(平成19年3月25日号)