人は試される時がある

投稿日:2016年08月20日

 人は時に試されることがある。神仏にか、天にか、或いは運命にか、それは判らない。だが仏教徒は如来に試されるのである。悉有仏性とは誰もが仏になる可能性を持つということであるが、仏になれるかどうかを試されるのであり、当に今がその時である事を肝に銘じておきたい。
今年はまさしく天変地異の年であった。相次ぐ大型台風の襲来に日本列島は荒廃し、そして新潟県中越地震の激震がこれに追い討ちをかけた。山は崩れて人命を呑み込み、家も国土もずたずたに崩壊して、迫り来る厳しい寒気のなか人々は去就に迷うのみである。相次ぐ水禍や地震の惨状は今本誌がたどたどしく述べるまでもなく、連日テレビがその迫真力を以て報じるところであり、罹災した人々の窮状には胸傷む思いを禁じ得ないのである。
経典には菩薩は常に衆菩薩として登場し給う。では菩薩とはすなわち衆生をこそ意味するのではないか。今肉親を失い家財の悉くを失って寒気厳しい路上に震える多くの罹災者達は、幸いにして罹災を免れた私たちに、同悲という仏心を起こさしめるために、身を以て苦行し給う菩薩として拝まれなければならないのである。では、救援活動は菩薩への供養でなければならない。
私たち仏教徒は今、如来に試されているのである。それは自らが常々人に説く仏心を自らが行じ得るか否かをである。釈尊は天魔に、そしてキリストは悪魔に試されて仏陀・救世主となり給うた。では私たちも如来の試しに応えて仏となりたいものである。罹災者の救援活動・募金活動には個人と宗派とを問わず、緊急に同悲のまことを投じたいものである。